『LONE ワンマンライブ』
グッドラックマザーシップ
[ACT]
LONE
2020年12月30日(水)
open18:00/start18:30
出演時間 18:30 〜 予定
前売 ¥ 3,500 1 ドリンク制¥600
以下、牛首先生からのコメントです。
この度、LONEギタリストの竹屋千十郎が脱退することになりました。
まず第一に、我々の活動を見守ってくれているあなたへ、このような報告せねばならないことをお詫びしたい、申し訳ございません。
忌まわしき流行病が跋扈するこの情勢下、タイムラインに週5のペースで流れてくる「〇〇からの大事なお知らせ」みたいな見出しにノート4枚ぐらい貼り付けたツイート、それ即ち脱退であったり活動休止であったり解散であったり既婚者でありながら他の女性にメイドさん姿でオムライスを要求したりする不甲斐無さを晒すバンド達に辟易する毎日の中、我々もそれに加わってしまう不逞を、我々を信じて待っていてくれていたあなたに心から詫びたい。いや、オムライスではない、そこだけは信じてほしい。
15年間ともに(あいだ2年僕おらんけど)夢を信じて続けてきた我々も市井でよく耳にする〈30歳の壁〉が近づくにつれ今後どうやってLONEを続けていくのか、もしくはLONEをどうするのか、そんなことを話し合う場が増え、各々もう一度本当に自分が生涯を賭してLONEを見つめていけるのか、その信念の灯を絶やさぬようにする為にはどうすればいいのか悩みに悩んだ。僕個人は2秒で「え?やるけど」といってバイトへ向かった。嫁の方が心配してた。そこに件のオムライスである、勘弁してほしい。
その様などこにでもある、犬も食わぬような有り触れた議題を重ね重ね論じ合った結果、竹屋千十郎は僕らとは別の道へ行くことになった。「LONEをやりたい」という極めてシンプルなワイダニットと「人生を賭けて」という小学生みたいなハウダニットしか持ち合わせていなかった僕らと竹屋の答えはどうやっても解消することができなかった。人が生きる為には生活が要る。生活は何の為に要る?生活は活きる為に要る。活きる為には生きねばならぬ。その為には生活が要る。つまりは何処に焦点を構えるかである。卵が先か鶏が先かである。オムライスの話ではない。
竹屋とはバンドを始めて15年、出会ってからで言えば小学校1年2組の時からずっと一緒に遊んできた友人である。思い返せば人生で一番長い時間互いにその姿を見続けてきた仲である。決してウマが合ったわけでもない、僕は奴のことを人の話を聞かん拗らせた見栄っ張りのアホだと思ってきたし奴は僕のことを人の話を聞かん拗らせた見栄っ張りのアホだと思ってきただろう。出会ってから23年ほどの時間の中で互いにもっと気の合う人間はいたし特に傍にいなくてその意義を見出せたわけでもない。ただ、幾人かの友人と呼んだ連中と出会い離れしていく中、ふと気づけばずっとそこにいた仲、そういうものだったのだ。小学生の頃、選択科目で互いに特にやりたいことが無かった時、中学校に入学して互いに特にやりたい部活も無かった時、中二でとりあえずギターを始めた時、高校の頃、は特に無いな。あとは遠征からの帰りの車内、途方もない帰路の気怠さを晴らす為に土曜日なら翌日のレースの予想ついて、日曜日ならその日の予想を顧みて取り留めもなく延々と駄弁りあった。そこでも気が合った訳ではないが、互いに互いしか話す相手がいないのだから仕方が無かったのである。「アーモンドアイが最強やねんから負けるわけないやろ」「最強なら府中から出てこいインチキ野郎が」「たらればばっか言ってるから下手くそなんやぞ」「ロマンが無ければ競馬じゃないやろこのノーザン信者が」「結局ノーザンが一番力があるのは事実やん」「うっさいロジクライぶつけんぞ」
ふと気づけばそこにいた。そこに竹屋しかいなかったから延々とここまでやってきた。
それを世間では竹馬の友と呼ぶらしいが自らが持ち合わせている言葉の意味と実際の感覚にずれが生じるので結局それもよくわからん。わからぬがとにかく事実として僕らはずっと一緒にいた。そして色んなものを一緒に見て話し合ってきた。
そんな記憶が美しく見えてしまわぬうちに僕らは別々の道を行くことにした。悔いが無いと言えば嘘になる。寂寥が無いと言えば壊疽になる。ただ、思考の停止を「信念」と誤謬せぬうちに僕らは歩き出さねばならない。弛まぬ選択と仮定の濁流の中、決断を続けることが信念であるからこそ僕らは離れることになった。15年という年月に由る情愛の念の保存方法を間違えてはいけないのだ。
長くなってしまったが竹屋はLONEを離れて生きることになった。ただ、僕自らがそうであるように、人生とは何が起こるか分からないし某ミュージシャンが歌っているように「去年の自分は宇宙人」であるので10年後ふらっと帰ってきてまたギターを弾いているのかもしれないし、もう二度と会うことすらないかもしれない。そんな現在の心情からまるで離れた不確定な未来に抗うほど僕らは子供でもないし、かといって「そんな日が来ればいいね」なんて濁りきった油で揚げたべちゃべちゃの言葉を送れるほど大人でもない。そんな問題を思うほど心は死に向き合っていない。まだ僕らはLONEだ。
それが答えだ。
再三になるが、この4人信じてくれていたあなたには謝罪したい。僕らは互いの道を行く。応援してくれなんて言わない。見限ってくれても構わない、だって契約違反は契約違反だ。コンプライアンスに反することは厳しく対応せねばならない。そういう時代だ。それでも僕らはLONEを続ける。ライアーまわしとしての美学に基づいてこの生を全うする。あなたがそれでもLONEを求めてくれるのであれば僕らはここにいる。
とにかく12/30、最期にこの四人でステージに立つ。それをどう思うのか、終わった後で何を思うのか、僕にだって分からない。答えはその日にしかないのだから。それをあなたと共に見つけたい。
この度、LONEギタリストの竹屋千十郎が脱退することになりました。
まず第一に、我々の活動を見守ってくれているあなたへ、このような報告せねばならないことをお詫びしたい、申し訳ございません。
忌まわしき流行病が跋扈するこの情勢下、タイムラインに週5のペースで流れてくる「〇〇からの大事なお知らせ」みたいな見出しにノート4枚ぐらい貼り付けたツイート、それ即ち脱退であったり活動休止であったり解散であったり既婚者でありながら他の女性にメイドさん姿でオムライスを要求したりする不甲斐無さを晒すバンド達に辟易する毎日の中、我々もそれに加わってしまう不逞を、我々を信じて待っていてくれていたあなたに心から詫びたい。いや、オムライスではない、そこだけは信じてほしい。
15年間ともに(あいだ2年僕おらんけど)夢を信じて続けてきた我々も市井でよく耳にする〈30歳の壁〉が近づくにつれ今後どうやってLONEを続けていくのか、もしくはLONEをどうするのか、そんなことを話し合う場が増え、各々もう一度本当に自分が生涯を賭してLONEを見つめていけるのか、その信念の灯を絶やさぬようにする為にはどうすればいいのか悩みに悩んだ。僕個人は2秒で「え?やるけど」といってバイトへ向かった。嫁の方が心配してた。そこに件のオムライスである、勘弁してほしい。
その様などこにでもある、犬も食わぬような有り触れた議題を重ね重ね論じ合った結果、竹屋千十郎は僕らとは別の道へ行くことになった。「LONEをやりたい」という極めてシンプルなワイダニットと「人生を賭けて」という小学生みたいなハウダニットしか持ち合わせていなかった僕らと竹屋の答えはどうやっても解消することができなかった。人が生きる為には生活が要る。生活は何の為に要る?生活は活きる為に要る。活きる為には生きねばならぬ。その為には生活が要る。つまりは何処に焦点を構えるかである。卵が先か鶏が先かである。オムライスの話ではない。
竹屋とはバンドを始めて15年、出会ってからで言えば小学校1年2組の時からずっと一緒に遊んできた友人である。思い返せば人生で一番長い時間互いにその姿を見続けてきた仲である。決してウマが合ったわけでもない、僕は奴のことを人の話を聞かん拗らせた見栄っ張りのアホだと思ってきたし奴は僕のことを人の話を聞かん拗らせた見栄っ張りのアホだと思ってきただろう。出会ってから23年ほどの時間の中で互いにもっと気の合う人間はいたし特に傍にいなくてその意義を見出せたわけでもない。ただ、幾人かの友人と呼んだ連中と出会い離れしていく中、ふと気づけばずっとそこにいた仲、そういうものだったのだ。小学生の頃、選択科目で互いに特にやりたいことが無かった時、中学校に入学して互いに特にやりたい部活も無かった時、中二でとりあえずギターを始めた時、高校の頃、は特に無いな。あとは遠征からの帰りの車内、途方もない帰路の気怠さを晴らす為に土曜日なら翌日のレースの予想ついて、日曜日ならその日の予想を顧みて取り留めもなく延々と駄弁りあった。そこでも気が合った訳ではないが、互いに互いしか話す相手がいないのだから仕方が無かったのである。「アーモンドアイが最強やねんから負けるわけないやろ」「最強なら府中から出てこいインチキ野郎が」「たらればばっか言ってるから下手くそなんやぞ」「ロマンが無ければ競馬じゃないやろこのノーザン信者が」「結局ノーザンが一番力があるのは事実やん」「うっさいロジクライぶつけんぞ」
ふと気づけばそこにいた。そこに竹屋しかいなかったから延々とここまでやってきた。
それを世間では竹馬の友と呼ぶらしいが自らが持ち合わせている言葉の意味と実際の感覚にずれが生じるので結局それもよくわからん。わからぬがとにかく事実として僕らはずっと一緒にいた。そして色んなものを一緒に見て話し合ってきた。
そんな記憶が美しく見えてしまわぬうちに僕らは別々の道を行くことにした。悔いが無いと言えば嘘になる。寂寥が無いと言えば壊疽になる。ただ、思考の停止を「信念」と誤謬せぬうちに僕らは歩き出さねばならない。弛まぬ選択と仮定の濁流の中、決断を続けることが信念であるからこそ僕らは離れることになった。15年という年月に由る情愛の念の保存方法を間違えてはいけないのだ。
長くなってしまったが竹屋はLONEを離れて生きることになった。ただ、僕自らがそうであるように、人生とは何が起こるか分からないし某ミュージシャンが歌っているように「去年の自分は宇宙人」であるので10年後ふらっと帰ってきてまたギターを弾いているのかもしれないし、もう二度と会うことすらないかもしれない。そんな現在の心情からまるで離れた不確定な未来に抗うほど僕らは子供でもないし、かといって「そんな日が来ればいいね」なんて濁りきった油で揚げたべちゃべちゃの言葉を送れるほど大人でもない。そんな問題を思うほど心は死に向き合っていない。まだ僕らはLONEだ。
それが答えだ。
再三になるが、この4人信じてくれていたあなたには謝罪したい。僕らは互いの道を行く。応援してくれなんて言わない。見限ってくれても構わない、だって契約違反は契約違反だ。コンプライアンスに反することは厳しく対応せねばならない。そういう時代だ。それでも僕らはLONEを続ける。ライアーまわしとしての美学に基づいてこの生を全うする。あなたがそれでもLONEを求めてくれるのであれば僕らはここにいる。
とにかく12/30、最期にこの四人でステージに立つ。それをどう思うのか、終わった後で何を思うのか、僕にだって分からない。答えはその日にしかないのだから。それをあなたと共に見つけたい。